9月29日(木)

神学部で和解についての授業を聴講。今週のテキストはLamin Sanneh著 Whose Religion is Christianity? 2003年にWilliam B. Eerdmans Publishing Companyより出版されたこの本は、聖書翻訳の意義、それにまつわる課題に焦点を絞っている。日本語の聖書を当然のように読む私にとっては、とても興味深い内容だった。日本語で聖書を読む事について、改めて考える機会を与えてくれた。

(本文より引用)

“Bible translation enabled Christianity to break the cultural filibuster of its Western domestication to create movements of resurgence and renewal that transformed the religion into a world faith. Attitudes must shift to acknowledge this new situation. There is much gained by it. ”

“Translation is the church’s birthmark as well as its missionary benchmark. ”

“Christians became pioneers of linguistic development with the creation of alphabets, orthographies, dictionaries, and grammars.”

“That was the case in Hawaii, in the cause of translating the Bible, including documenting centuries of Hawaiian culture and history, the missionaries were the fist to learn the language and to reduce it to writing. That today the language has survived at all is due almost entirely to the earlier work of Bible translation.”

授業は、大きなホワイトボードにColon-Emeric教授が、地図を描くことから始まった。ヨーロッパ、アジア、アフリカ、そして新大陸へと伝わっていく過程で、キリスト教は、新しい人々の伝統と出会い、新しい伝統がキリスト教の一部となっていった。 境界を超える事、そのものがクリスチャンのストーリーであり、DNAの一部である。 今では、キリスト教は世界的に伝えられているが、イスラム教と違って、ある一カ所の中心的地域はなくなった。どのように、キリスト教が、それぞれの地域とReconcile (調和)していくかが課題として挙げられる。教授が強調していたのは、ある一部の伝道の流れを切り取って考えるのではなく、キリスト教伝道の地域的な流れと歴史を総括的に捉えていく事の大切さだった。約1時間15分の授業の後、小さなグループに分かれてのディスカッション。

授業終了後は、学生の説教による礼拝。教授方がバックアップでついている。聖歌隊による讃美、オルガン演奏、そして聖餐もある。ひとつ驚いたこと。礼拝が終わったあと、オルガンの後奏が鳴っている最中、わらわらと人が聖餐卓に集まり(もちろん教授陣も)、残ったパンを笑顔でおいしそうに、おしゃべりしながら食べ始めた!日本&ハワイの教会では見た事のない光景。

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