Latest Entries »

今週は1週間(10/10-10/14)、デューク大学全体が秋休みとなる。日曜日は、Blacknall Presbyterian Church の礼拝、そして礼拝前に行われる、Sunday Schoolに参加した。それぞれの興味あるトピックごとに集まって、聖書を読み、意見の交換をする。やはり、ここでも水曜日のTable Talkと同じく、参加者の非常に活発な発言に驚かされた。

礼拝ではOrdinationが行われた。実はこのOrdination、長老派教会では、一般信徒の中で、ある一定の訓練を受けた人が、リーダーとして教会に使える際に受けるものなのだ。この Ordination を受けることにより、スモールクラス等で講師役を務める事が出来る。私が日本で所属しているプロテスタント教会では、 Ordinationは、伝道師が牧師になる時に行われる式なので、教派によって違うものだなぁと今日の経験で改めて思った。この事を解説してくれたのは、ハウスメートのクリスティーナ。

さて、10日と11日は、デューク神学部で開催された2011 Convocation&Pastor’s Schoolに参加した。これは、デューク大学の卒業生、そして牧師を対象にした2日間にわたるレクチャーシリーズ。毎年開催されるが、今年のテーマはDrawn into Scripture: Arts and the Life of the Churchである。オープニングセッションは、神学部学長がエレキを弾きながら朗々とロックを歌い上げる。内容は「There is no inspiration! 土曜日なのに何もインスピレーションが浮かばない!」日曜の説教を準備しなければいけないのに、何も頭に浮かばない!と苦悩する説教者を歌う。さすがアメリカのユーモアの受け手側は、懐が深い。会場は一気に笑いの渦に。

さてオープニングに続いては、芸術と神学とのかかわりを軸に、どのように芸術家が聖書のアイディアを作品を通じて表現しているか、また説教者は、芸術の中からどのように聖書のみ言葉を聞く事ができるのかを中心に、音楽と神学の関わりを研究されているDr. Jeremy Begbieによる素晴らしいレクチャーが行われた。

レクチャーに平行して、聖書からインスピレーションを受けたアート作品の展示販売会も行われた。スモールグループで行われるセミナーでは、ヘンデルのメサイアに焦点を当てたクラスに参加。講師は、通称チャップスと呼ばれる旧約聖書の専門家、Dr. Stephen Chapmanである。イエール神学部時代に聖歌隊に入っていた事もあり、音楽に詳しく、講義内容もわかりやすく面白かった。メサイアでは、キリストの事を語るのに、歌詞として引用されている聖書箇所の多くは旧約である。これをどのように理解し、捉えていくかという話しが中心となった。2日間のレクチャーシリーズの最後には、デューク大学音楽部の作曲科准教授Dr. Anthony Kelleyによるレクチャー、そして彼が率いるThe Blak Ensembleによるプレゼンテーションが行われた。

それにしても、石造りのデュークチャペル、そして講義が行われた会堂は、外の気温が20度以下なのに冷房が入っており、とても寒かった!温かいセーターを着込んでいたにも関わらず、予想通り風邪をひいて、水曜日のBlacknall Church でのTable Talk 3参加は残念ながらお休み。

広告

和解 2

今回の授業で使われたテキストは、Virgilio Elizondo著「Galilean Jorney」。この本の中で、中心となるコンセプトはMestizajeという言葉で、新しいクリスチャンのコミュニティの中での異なる人々の出会い、共に集まる事によって、新しい何かが生まれるという意味をもつ。

1492年のコロンブスによる新大陸の発見からのヨーロッパの人々が新大陸にわたり、そこに住む人々(インディアン)との間に子供達が生まれる。 Mestizajeという言葉、もとはヨーロッパ人とインディアンの混血の人々に用いられた言葉であるが、今は、インディアンとアフリカ人との混血、ヨーロッパ人とアフリカ人との混血も含め、もっと広い意味で使われるとの事。 Mestizajeを理解するには、いくつもの見方がある。著者は、多文化主義でもなく、折衷主義でもなく、聖書を通して Mestizajeの意味を説明し、教会そのものが Mestizaje であり、異なるものの間に、キリストによる和解が必要であるという結論にむかって議論を展開していく。

Table Talk 2

Blacknall 長老派教会でのセッション2回目。この日は、聖書の中で語られる「愛」がテーマであった。

朗読聖書箇所(1)第一コリント12:12-14, 12:27-13:13

ディスカッションのテーマ:

1)この聖書箇所において、愛はどのように語れているか?

2)愛はどこからくるのか?

3)愛、健康、人として成熟は、どのような関係性があるか?

朗読聖書箇所(2)第一ヨハネ 4:7-5:5

1)この聖書箇所において、愛はどのように語れているか?

2)愛はどこからくるのか?

3)人として成熟は、「父・子・聖霊」の働きとどのように関係づけられているか?

5−6人のグループに分かれて、活発で熱いディスカッションが続く。この教会が位置するダーラムには、デューク大学病院や医学や科学のリサーチセンターが多く点在しており、教会員のメンバーの中にも、看護士や医師、公衆衛生学など医療に関わる人々が多い。それだけに、聖書を原点とした健康についての意見交換は、医療現場に直面した人々ならではの意見が反映され、次第に熱を帯びていく!

セッションを終わりに、講師のKinghorn氏がイエスの身体が描かれた十字架を、そっと掲げた。はっとする瞬間だった。十字架上のイエスは「健康」とは言えない。そこに何を見るか、感じるか、ひとつの大きな課題が参加者に示されて、セッションを終えた。

 

 

聖歌隊 2

10月3日(月)&5日(水)

聖歌隊のクラスでは、南アフリカの現代作曲家 Mnomiya によるBaba Sixoleleを練習した。歌詞はアフリカの言語のひとつによって記されている。久々に手書きの楽譜!最近では、便利で機能的なコンピューターによる清書が一般的だけれども、改めて手書きの楽譜を見ると、作曲家の心の温かさが伝わってきて、手書きの良さも実感できる。5日の午前11:20からは、Goodson Chapel(神学部の建物内にある礼拝堂)での礼拝で、この曲を歌った。 聖歌隊の授業を担当している先生のお誘いで、聖歌隊の一員として讃美に参加。

この日の礼拝は、アフリカでの宣教を覚えての礼拝。夏の間に、アフリカ各地でインターンとして宣教に加わった学生達による説教が行われた。ドラムあり、ダンスあり、アフリカでの礼拝を再現するような讃美が続く。その中で、讃美歌21の417番「聖霊によりて」を学生2人が美しいハーモニーを奏でながら、ギター1本でしっとり静かに歌い上げた。清らかで力強い歌声が、とても心に響いた。

10月2日(日)

ここノースカロライナでは、寛大な友人宅に滞在させて頂いている。彼女の家には、私の他に、もう一人のゲストが泊まっている。彼女の名前はクリスティーナ。デューク大学神学部の卒業生であり、今はリサーチアシスタントを務めている。彼女のリサーチエリアも、私と同じく「和解」。ひとつ屋根の下に、こんなにも力強い大先輩を与えられて感謝。さて、彼女いわく、聖餐卓で「おいしそうに余ったパンを食べる」のは、デュークならではの伝統だそう。確かに、聖餐にあずかる時には、十字架上のキリストの死を覚えるのだが、同時に記念の祝福にあずかるという意味もあるので、前記のような光景が繰り広げられるという。聖餐で使われるパンは、Hawaiian Bread といわれる種類のもので、とっても甘い。「どうしてハワイアンなのかは、よくわからないけれど、パンのおいしさ、そのものも手伝って、皆が食べに集まってくるのよ。」と彼女が説明してくれた。

今日の礼拝は、長老派教会Blacknall Presbyterian Churchに出席。デューク大学神学部の和解センターのディレクター、Chris Rice氏は、この教会のメンバーである。2009年の夏期講習以来、2年ぶりに再会することが出来て嬉しかった。これから、日本を含めて東アジアにも活動を広げていくとのこと。10月中旬以降に、Chris Rice氏とミーティングをする事になりそう。

和解 1

9月29日(木)

神学部で和解についての授業を聴講。今週のテキストはLamin Sanneh著 Whose Religion is Christianity? 2003年にWilliam B. Eerdmans Publishing Companyより出版されたこの本は、聖書翻訳の意義、それにまつわる課題に焦点を絞っている。日本語の聖書を当然のように読む私にとっては、とても興味深い内容だった。日本語で聖書を読む事について、改めて考える機会を与えてくれた。

(本文より引用)

“Bible translation enabled Christianity to break the cultural filibuster of its Western domestication to create movements of resurgence and renewal that transformed the religion into a world faith. Attitudes must shift to acknowledge this new situation. There is much gained by it. ”

“Translation is the church’s birthmark as well as its missionary benchmark. ”

“Christians became pioneers of linguistic development with the creation of alphabets, orthographies, dictionaries, and grammars.”

“That was the case in Hawaii, in the cause of translating the Bible, including documenting centuries of Hawaiian culture and history, the missionaries were the fist to learn the language and to reduce it to writing. That today the language has survived at all is due almost entirely to the earlier work of Bible translation.”

授業は、大きなホワイトボードにColon-Emeric教授が、地図を描くことから始まった。ヨーロッパ、アジア、アフリカ、そして新大陸へと伝わっていく過程で、キリスト教は、新しい人々の伝統と出会い、新しい伝統がキリスト教の一部となっていった。 境界を超える事、そのものがクリスチャンのストーリーであり、DNAの一部である。 今では、キリスト教は世界的に伝えられているが、イスラム教と違って、ある一カ所の中心的地域はなくなった。どのように、キリスト教が、それぞれの地域とReconcile (調和)していくかが課題として挙げられる。教授が強調していたのは、ある一部の伝道の流れを切り取って考えるのではなく、キリスト教伝道の地域的な流れと歴史を総括的に捉えていく事の大切さだった。約1時間15分の授業の後、小さなグループに分かれてのディスカッション。

授業終了後は、学生の説教による礼拝。教授方がバックアップでついている。聖歌隊による讃美、オルガン演奏、そして聖餐もある。ひとつ驚いたこと。礼拝が終わったあと、オルガンの後奏が鳴っている最中、わらわらと人が聖餐卓に集まり(もちろん教授陣も)、残ったパンを笑顔でおいしそうに、おしゃべりしながら食べ始めた!日本&ハワイの教会では見た事のない光景。

Table Talk 1

9月28日(水)

デューク大学の近くにある長老派教会Blacknall Memorial Presbyterian Churchのプログラム、Table Talk (テーブルトーク) に参加。参加者は約270名(!)で、午後5時半からの食事後、6時半から7時半まで、いくつかのテーマが違うグループに分かれ、講義を聞いたりディスカッションを行う。今日が第一日目で、11月16日まで毎週水曜日の夜に行われる。

私が選んだグループは「Human Flourishing and Christian Faithfulness」について学ぶ。神学の枠組みの中で健康を考え、最終的には、メンタルヘルス、鬱や不安感をどのように捉えていくかを学ぶ。講師は、デューク大学病院の精神科の医師Warren Kinghorn氏、そしてアシスタントにデューク神学部の学生が携わる。内容な以下の通り。

1)テーマ:健康とは何か?クリスチャンにとって、健康であるという事はどのような意味を持つのか?

2)ディスカッションのトピック:健康とは何か?精神の健康とは何か?健康と救いの関係性とは?

3)聖書朗読(ルカ8章42節−48節): 健康がどのように描かれているか?健康は救いとどのように関連しているか?健康は、コミュニティとどのように関連しているか?

4)聖書の中で、しばしば「健康」「健康的」と訳される言葉のリストの説明: rapha,shalom,hugiano, soteria, eirene, sozo, makariosなど。

 

聖歌隊 1

9月26日:聴講の第1日目。

さて、デューク大学。ダーラムの南から30分かけてバスで到着したものの、なかなか神学部までたどり着けない。ちゃんとGoogleでシュミレーションし、地図を持っていたのに、構内の道は曲がりくねっていて、なかなか複雑なのだ。通りがかりの人に何度も助けてもらって、やっと到着。とにかく広いキャンパスである。

今日は聖歌隊のクラス。見学のみさせてもらう予定だったが、「本当に見学だけでいいの?一緒に歌いたかったらどうぞ!」と先生に言われ、急遽アルトパートに参加させてもらった。実際に歌ってみると、作曲家の和音やフレーズの特色がよくわかる。聖歌隊の指導方法は、非常に面白く勉強になった。細かい指示を出しながらも、あちこちでユーモアのセンスを忘れない。同時に、音楽史上の特色や音楽理論のまめ知識を取り入れながら、実に軽快なテンポで指導が進んで行く。伴奏は本番さながらオルガニストが担当。

和解の教会 9/25

日曜日の今日は、ホームステイ先から一番近い教会へ行ってみた。

Church of Reconciliation (和解の教会)という名の長老派教会であった。礼拝の中では、テーゼ共同体の讃美歌、そして日本の教会で使われている聖歌に収められた讃美歌も歌われた。牧師と会衆の応答も、ハワイのニューマンカトリックセンターで使われているものと同じ形式のものがあった。お説教は、成熟した信仰を目指すための心得がテーマであった。やっぱりここはアメリカ。お説教の中でもユーモア精神が絶える事はない。

裏庭には、「ラビリンス」という石の迷路がある。これから書く論文では、石がコンセプトのひとつのテーマとなるので、この思いがけない発見&出会いに、何となく背中を押された気がした。

教会の説明によると、ラビリンスの歴史は4000年の昔に遡る。この石の迷路を辿って行く中で、瞑想したり、祈ったりするそう。この教会のラビリンスは、近所のボーイスカウトによって作られたらしいが、石が定位置からずれてしまったため、もう一度、きれいに作りなす必要があるらしい。それでも、ラビリンスというものを実際に見ることが出来て、とても参考になった。

9月23日ー9月24日

ホノルルからデューク大学のあるノースカロライナ州まで移動。ホノルルからアトランタに飛び、そこからラリー/ダーラム空港行に乗り換える。フライト時間は、それぞれ9時間と1時間。機体の修理が必要で、搭乗時間から待つ事4時間、やっとホノルル出発となる。3時間を超えたあとで、ぐったりする人もいたけれど、文句を言ったり、感情的になったりする人は特に見当たらなかった。機内では、飛行機会社からの謝罪のしるしとして、50ドルのバウチャー券が全員に配られた。

アトランタに到着する頃、機内アナウンスがあった。到着が遅れて申し訳なかったという謝罪に続き、国立墓地に埋葬する棺を飛行機から出すので、乗客全員、敬意を払いつつ、席に座って待っていてほしいという説明があった。窓から外を見ると、アメリカ国旗がデザインされた特別のカーゴが機体に横付けされていた。おそらく、中東で亡くなった米兵士の棺だろう。私には初めての経験で、アメリカが直面する現実に引き戻された様な、悲しみと共に複雑な感情がわき上がってきた。

アトランタでは、当然、乗り換えで予定していた便には間に合わず。それでも、午後の早い便に滑り込み、空港でピックアップしてもらってホームステイ先に落ち着いた。

ホームステイ先の友人宅、森の中にある。さきほど、野生の鹿が4匹、ゆっくりと歩いていった。